ヤクルト五十嵐中継ぎで最多勝?リリーフでの二桁勝利達成者についても

野球 東京ヤクルトスワローズ

かつてヤクルトで「ロケットボーイズ」として呼ばれていた五十嵐が今年10年振りにヤクルトに復帰しました。

今年で40歳になるかつての剛腕ですが、中継ぎとして予想以上の活躍を見せています。

その一方で4月末までだけで5勝を挙げるというリリーフにしては珍しい事態が発生しています。

場合によってはこのまま最多勝と言う可能性もありますが、実際にはどうなのでしょうか?

五十嵐はここまでハーラートップの5勝 過去には二桁勝利の経験あり

ここまでハーラートップの5勝を挙げている五十嵐選手ですが、4/31現在のセ・リーグの最多勝ランキングを見てみましょう。

1位 五十嵐(ヤ) 5勝
2位 山口俊(巨) 4勝
2位 床田(広) 4勝
4位 メルセデス(巨) 3勝
4位 菅野(巨) 3勝

上位5名の内中継ぎでランキング入りを果たしているのはもちろん五十嵐選手のみです。

なので現在の五十嵐選手がトップにいることは、珍しい現象です。

では一体何故5勝も挙げられたのでしょうか?

その原因は探るため3勝目までのゲームを振り返ってみましょう。

1勝目 4/5中日戦 先攻中日 中7-8ヤ

1勝目はヤクルト先発小川選手が5回までに6点を奪われるも、その後チームは追い付き、同点で迎えた8回表に登板し1イニングを無失点に抑え、その回の裏にヤクルトが勝ち越し、勝利投手となりました。

2勝目 4/14巨人戦 先攻ヤクルト ヤ11-6中

この日の試合は両チーム打ち合う乱打戦で、ヤクルトの先発が3回までに6点を奪われ3回を投げ降板。

4回表終了時点で6-6と両者同点のままでした。4回裏に五十嵐選手が登板し無失点に抑えます。

5回表にヤクルトが勝ち越し、五十嵐選手は4回裏のみでしたが、チームがそのままリードしたまま勝利したため、勝利投手に。

3勝目 4/20中日戦 先攻ヤクルト ヤ5-3中

3-2ヤクルトリードで迎えた8回裏、ヤクルトは4番手として近藤選手を送りますが

四球とヒットで1点を奪われ、2アウトを取ったのみで降板し、後続として五十嵐選手が登板します。

僅か4球で1アウトを取り、8回裏の中日の猛攻を抑えます。この日の投球回数は1/3回のみでしたが

9回表ヤクルトが2点を取りリードを奪うとそのまま勝利を掴み、直前に投げていた五十嵐選手が勝利投手の権利を得ました。

3勝目までの投球内容では先発投手の勝利権利を中継ぎが点を取られ同点もしくは逆転され、先発の勝利権利を消し、その後チームが勝ち越したことで中継ぎが勝利投手になるという、パターンがないことが分かります。

中継ぎに勝利投手の権利が付く場合、上記のパターンも珍しくなく、ある種中継ぎとしては引き起こしたくない勝ち星の付き方です。

五十嵐選手の場合、4、5勝目も得点を奪われておらず、自ら先発の勝ち星を盗む投球はここまで一切ありません。まさに理想の中継ぎといえます。

一方で中継ぎに多く勝ち星が付いている事態は決してチームに喜ばしいことではありません。

五十嵐選手が勝利を挙げた5試合の内、4試合では先発が5回持たずに降板しているか、4点以上奪われて降板しています。

現在ヤクルトの先発陣の状態はあまり良くありません。先発防御率はリーグワーストの4.89とかなり苦しい台所事情となっており、

チームを引っ張る絶対的エースも不在という状況です。

五十嵐選手にここまで勝ち星が付いているのは先発がゲームを作れない結果、比較的早い段階で降板し、その後逆転しているため、中継ぎに勝ち星が付きやすい訳です。

なのでこのまま五十嵐選手がシーズン終盤まで最多勝争いをした場合、ヤクルトの先発事情が厳しい状態が続いているということを表します。

この状態が続けば五十嵐選手以外ではなく、他の中継ぎにも負担が増加する一方なので、ヤクルトとしては首位浮上のためにも、先発陣の立て直しは急務なのかもしれません。

因みに五十嵐選手はヤクルトに所属していた2000年に56試合に登板し、75.1イニングを投げ11勝を挙げています。

なので中継ぎで二桁勝利の経験は既にお持ちなのですが、19年前から活躍している選手が今も第一線で活躍していると考えると、本当に息の長い名投手です。

過去の主な中継ぎ二桁勝利達成者 ~中継ぎで最多勝を取った投手はいる?~

ここからは過去に中継ぎで二桁勝利を挙げた人を紹介していきます。

ただ中継ぎでも二桁勝利者はかなりの人数に上るので、タイトルを獲得した投手から絞って紹介します。

1995年 オリックス 平井正史

最速157キロを武器に主にリリーフとして活躍されたオリックスなどに在籍されていた平井正史さん。

2014年に引退され、現在はオリックスで投手コーチとしてオリックス投手陣を支えていますが、

1995年、高卒2年目であった平井さんは当時の監督・仰木監督から2年目ながらリリーフの才能を見込まれ

抑えとして活躍し、その年のオールスターにも出場しています。

最終的に成績が全て救援の53試合に登板し、防御率2.32、85.1イニング、27セーブを記録し抑えとしては十分すぎる成績を残しますが

特筆すべきは勝利数で何と15勝を挙げています。

まさに救援登板のみでは驚異的ですが、その年の最優秀救援投手と最高勝率のタイトルを獲得し、新人王の資格も有していたため新人王にも輝いています。

1985 近鉄 石本貴昭

現役10年間で通算267試合に登板し、近鉄を支えた名リリーフ石本貴昭さん。

1985年に70試合に登板されたのですが投げたイニングが131.1と現代の先発の数値と比べても劣りませんが

それもそのはずでその年の規定投球回数を達成していました。

現代では中継ぎの回跨ぎは珍しいので昔ならではの起用法と言えます。

最終的に19勝7セーブを挙げ最多勝こそ逃しますが、最高勝率と最優秀救援投手を受賞しました。

1988 ヤクルト 伊東昭光

先発として活躍し、通算87勝の名投手・伊東昭光さん。

実は中継ぎとしてフル稼働していた年があり、それが1988年です。

前年は先発として14勝を挙げていたのですがチーム事情からリリーフに転向

その年救援登板のみで、55試合に投げたのですが、17セーブを記録する以外にも18勝を挙げます。

投球イニングは122.2と規定投球回未満でしたが、先発並みに投げていました。

この18勝はその年のトップで最多勝を獲得、規定投球回未満での受賞は当時としては珍しく

先発として活躍がメインであった伊東昭光さんにとっても、最多勝獲得はこの年のみでした。

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