タツマルこと杉山龍丸さんインドの砂漠緑化に挑んだ半生や経歴

テレビネタ

1月21日の「世界ナゼそこに日本人 知られざる日本人偉人伝説&ナゼか秘境で自給自足2HSP」で

かつてインドの砂漠化の現状を見て私財を投じてまでインドの緑化に挑んだ杉山龍丸さんが取り上げられます。

日本ではあまり知られていませんがインドではグリーンファーザとまで呼ばれるほど尊敬されています。

今回はそんな杉山龍丸さんの経歴や半生について追ってみました。

プロフィール

名前:杉山 龍丸(すぎやま たつまる)

生年月日:1919年5月16日

出身地:福岡県福岡市

杉山龍丸さんの経歴と半生

杉山龍丸さんは福岡県福岡市の出身で、ご家族には著名な方が多くいました。

祖父である杉山茂丸さんは明治から大正にかけて多くの政界人と交流を持ち、様々な献策を行ってきたことから政界の黒幕とまで呼ばれた人物です。

父である夢野久作さんは作家であり日本探偵小説三大奇書の1つの『ドグラ・マグラ』の作者でもあります。

実家には杉山農園という祖父・茂丸さんが作り上げた4万坪の大農場があり、龍丸さんもそこで農業をお父さんなどから教えながら育ったそうです。

そんな杉山龍丸さんですが中学卒業後は陸軍士官学校を得て軍人となり、そのまま第二次世界大戦を経験されます。

その後終戦を迎え日本へ帰ってきた杉山龍丸さんですが、1955年に知り合いからインド人を紹介され杉山農園の方で農業技術を教えることがありました。

これが杉山さんとインドとの出会いのきっかけでした。

そして1962年インドに招かれた杉山龍丸さんはそこで砂漠化が進むインドパンジャープ州の光景を目にします。

砂漠化が進んだのは森林伐採によるものでした。

砂漠化を止める手段がないかをインドの人から相談された杉山さんはそこで砂漠化を止める手段としてユーカリの植林を薦めます。

植林を行うことでヒマラヤの水脈を止められ、水を確保することができるからです。なぜユーカリかというとユーカリの根は地中深くまで伸び尚且つ成長が早いため水脈を止めることに適しているからです

この提案はインドで事業化し更に植林の資金を募るため国際文化福祉協会を建設します。

杉山龍丸さんも数カ月の間植林の指導を行いその後日本へと帰国しますが、1963年にインドは前代未聞の飢餓に見舞われ3年間で500万の人が餓死してしまう事態に陥ります。

この事態にインド政府は植林事業を中止します。

まさにユーカリの植林は終わったかに見えましたが、杉山龍丸さんはインドを救うべく杉山農園を売り払い資金を作ります。

そして資金だけではなく杉山龍丸さんもインドの力になるべく家族を残しインドへと飛び立ちます。それからは日本とインドを行き来するようになります。

杉山龍丸さんの決死の思いで続行が決まったユーカリの植林は徐々に身を結び一面砂漠であった地域に作物が育つようになり、緑が広がっていました。

ただ資金調達のために杉山農園はもちろん屋敷も手放してしまい、借家住まいとなり杉山龍丸さんの家の財政は厳しいものとなり、1984年の国際砂漠会議でインドの緑化事業の報告を行うためへの旅費すらも支払うことが難しいほどでした。

生活こそ苦しくなりましたがそれでもなおインドの緑化に命を懸けた杉山龍丸さんの行動力や意志には学ぶものが多くありますね。

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